祖母の東京旅行を案内することになった男子大学生の体験談

僕は都内の私立大学に通う20歳の学生です。1か月ほど前に長野の実家に住む祖母から電話がかかってきました。そして「今度、1泊2日で東京へ旅行することにしたから、あんたが都内を案内してくれるかい?」と言われたのです。

ホテルを予約したから僕のアパートには泊まらないけど、日中は一緒に都内を回ってほしいという旨でした。今回は祖母の東京旅行をプロデュースした僕の体験談を紹介します。

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東京旅行のテーマがひらめいた!

祖母の東京旅行案内人となった僕ですが、いざプロデュースするとなるとどこに行ったらいいのか迷ってしまいました。若者向けのスポットならたくさん知っていますが、70代の祖母が好むようなスポットはあまり知らないからです。

「あーでもない、こーでもない」と東京旅行プランを模索しているうちに、祖母は“発祥の地”が好きだということを思い出しました。そして今回のプロデュースのテーマがひらめきました。それは「発祥の場所めぐり」です。

幸い祖母は足腰がまだしっかりしています。たくさん歩くことをあまり苦にしないのです。調べてみると浅草と日本橋には、歩ける範囲内で発祥の場所がたくさんありました。

俳句と川柳の発祥場所へ

1日目は浅草付近を回ることにしました。浅草寺の門前町として発展し、たくさんの人で賑わっている浅草は数々の文化や食が発祥した場所でもあります。最初に目指したのは東上野3丁目の下谷神社です。東京で最も古いお稲荷様として有名ですが、かつては下谷稲荷社と呼ばれていたそうです。

境内にある掛け小屋で山生亭花楽が木戸銭をもらって落語を聞かせたのが寄席の発祥とされています。正岡子規が寄席の発祥にちなんで詠んだ俳句の石碑があり、祖母は「寄席の歴史が伝わってきたよ」という感想をもらしていました。

下谷神社の後は蔵前4丁目にある川柳の発祥場所に行きました。この場所には川柳が発祥してから250年が経ったのを記念して、2007年に建てられた石碑があります。

ちなみに川柳という名称は、1757年(宝暦7)に柄井川柳という人が庶民から五七五の句を公募していたことが由来となっているそうです。

祖母は「俳句だけでなく江戸庶民に親しまれた川柳の発祥場所があるのも下町ならではだね」と言っていました。

浅草駅付近も発祥場所の宝庫

川柳の発祥場所から新掘通りを北へ歩くと、巨大なコックさんの像が現れてきました。かっぱ橋道具街の南側入口付近です。このコックさんの像の正体をすぐにスマホで調べてみたら、レストランの店頭でよく見かける食品サンプルが合羽橋で発祥していたということがわかりました。

巨大なコックさんの像という想定外の発祥場所をめぐることができて、祖母も僕も感激でした。そしていよいよ浅草駅が近づいてきました。この町のシンボルでもある浅草仲見世商店街は、日本最古の商店街だといわれています。

ちょうどお昼の時間帯だったので、浅草1丁目にある「神谷バー」という飲食店に入りました。ここは1880年(明治13)に「みかはや銘酒店」として開業したのですが、1912年(明治45)に西洋風の店舗に改装したことに伴い日本におけるバーの発祥場所となったそうです。

祖母は昭和の生まれですが「何だか明治のおもむきを感じるよ」と言いながら食事を楽しんでいました。神谷バーの斜め向かいにあるのは、浅草駅駅舎です。ここは日本ではなく東洋における地下鉄駅舎の発祥場所になります。

この駅舎を起点にして東京の地下鉄が発展していったのです。浅草らしい屋根瓦と朱塗りの柱が印象的でした。祖母は駅舎裏の格子を興味深げに観察していました。その格子をよく見ると丸い枠の中に「地下鉄出入口」という文字を読み取ることができるのです。

祖母は「この格子には先人の遊び心が隠れているね」と言ってニヤリと微笑んでいました。

1日目の最後は今戸神社へ

浅草駅駅舎を見た後はこの日のゴールである今戸神社を目指して江戸通りをテクテクと歩きました。江戸通り沿いには靴屋がたくさんありました。観光スポットとしてのイメージが先行しがちな浅草ですが、実は革靴の生産出荷額が日本一だそうです。

このエリアの靴屋にふらりと立ち寄るのも浅草観光の醍醐味ですよ。そして、いよいよ今戸神社に到着しました。ここは言わずと知れた招き猫の発祥場所です。本殿には金運アップのご利益があるとされている「石なで猫」がありました。

今戸神社は浅草駅から約20分も歩く場所にあるのですが、金運アップや縁結びを願う人たちが毎日たくさん参拝に来るそうです。祖母と一緒に「幸運を授かることができますように」とお祈りをして発祥場所めぐりの1日目を終えました。

2日目は日本橋へ

2日目は祖母が昼過ぎの新幹線で帰るということだったので、日本橋をコンパクトに回ることにしました。最初に行ったスポットは室町1丁目の乙姫広場にある日本橋魚市場発祥の地です。ここは江戸の台所を支えた魚市場の跡地で、現在は記念碑が置かれています。

この記念碑を見た後は日本橋を渡って、金融の街として知られる兜町へ移動しました。このエリアは「日本のウォール街」とも呼ばれています。みずほ銀行兜町支店は、日本における銀行発祥の場所です。南側の壁面には銀行発祥の場所であることを証明するプレートが埋め込めれています。

西側には第一国立銀行を立ち上げる中心人物となった渋沢栄一の変遷を解説したパネルも設置されていました。祖母は「渋沢栄一はこれだけの功績を残したから、お札の肖像画になれたんだね」と感慨深げに言っていました。

最後は日本橋高島屋の1階にある「山本山ふじヱ茶房」に行きました。山本山6代目の山本嘉兵衛が茶葉を加工して発祥させた玉露がこの店舗でも受け継がれています。ここは照明からもこだわりが感じられるほどの洗練された内装で、店員が丁寧な所作でお茶を淹れる様子も眺めることができる茶房です。

祖母は「東京旅行の最後に、和菓子と一緒に五感で玉露を味わえることができて良かったよ。ありがとう」という言葉を残して、満足げに帰って行きました。

発祥の場所めぐりが新しい刺激に!

今回「発祥の場所めぐり」をテーマにして祖母の東京旅行をサポートしたことによって、僕自身も学校では教わらなかった出来事の歴史を学ぶことができました。新しいスポットばかりに行くのではなく、古くから残されている場所をめぐることによって、これまでは知らなかった東京の姿を垣間見ることができますよ。

祖母のおかげで何だか新しい刺激を与えてもらいました。